SUB POP ROCK CITY

1992年6月から1年ほどバイトで貯めた少ないお金でシアトルでの貧乏生活をしていました。きっかけはサブポップからリリースしていたバンドに興味を持ち英語ができないので辞書と格闘しながらサブポップやエンプティ・レコードのスタッフとやり取りをしているうちに「一度、こっちへ遊びに来たら?」と言う流れで渡米することになりました。

知り合いになっていた好きなバンド、ザ・デレリクツのニールのアパートに住む所が決まるまで泊めてもらい、溜まり場のバーやライブハウスそしてサブポップへ連れて行ってもらい、いつの間にか忙しい時に手伝いに行く関係になっていました。小さな部屋でサブポップ・シングル・クラブのレコードを世界中のクラブメンバーに発送する作業などをやり、労働ビザなど持っていないのでバイト代の代わりに新譜のカセットテープやCDをもらって楽しく過ごしていました。

住みはじめた92年の夏は「グランジ・ブーム」到来でニルヴァーナやサウンドガーデンなどはすでに大ブレイクしていて、フランネルのシャツにボロボロのデニムのファッションが大勢いました。グランジではないですが、ビースティボーイズの「チェック ・ユア ・ヘッド」がとにかく流れていてみんな「ワッチャワッチャワッチャ、ウォント」とあちこちで叫んでいる夏でした。

地元インディーズシーンは活発で毎週末ライブハウスへと行っていました。
ラッキーなことにニールという人はとにかく友達が多くて一緒に行くとタダで横から入れてもらえることが多く、お金を払って入った覚えがあまりなくて、有名バンドの大きな会場のライブではコネもないので2人で裏口を探して入ったり、受付で「ゲストリストに載っている」とデタラメな名前を言ってみたり、色々な事をして入れたり入れなかったりの繰り返しでした。

小さなライブハウスにはアジア人はあまり居なかったので私はめずらしい存在だったようで「日本から来たのか?」とよく声をかけられました。ウソみたいな話ですが何回か元サウンドガーデンのヒロさんに間違えられてサインを求められたりもしました。

シアトルの街ではマッドハニーのメンバーが普通にビールを飲んでいたりタッドがピザを食べていたり、当時のサブポップ好きな人からすると信じられない街でした。

ロックスターぶる人もいなくて、残念ながら数年前に亡くなったスクリーミング ・トゥリーズのヴァン コナーに会った時など彼の方から笑顔で思いっきり力を入れて握手してきて「どや?痛いやろ?」と子供みたいなことをする優しい人がたくさんいました。

地元のバンドとポートランドへのライブに何回か付いて行かせてもらったこともあって泊まる所も車の中や対バンしたメンバーの家、ライブを観に来ていたファンの家でパーティーをしてそのまま泊まったり。もちろん大したギャラもなく赤字で行っていましたが、それでも楽しかったのは「若さと好奇心」が大きな要因だったと思います。

今回、来日のブルースはもちろんサブポップレコードの顔だった人で当時のインディーズ音楽シーンでも大注目の人でした。
あれから30年以上が経ち、残念ながらすでに何人かはドラッグや病気で亡くなっています。当時の貴重な話を当事者から聞くことができるこういったイベントを日本で開けるのは大変貴重だと思います。

(文章・写真) 小濱  a.k.a Hama 2.25.2026

 

↑  映像はSUB POPで手伝いをしていた時代にローカルテレビ番組に映った貴重な映像(14:08ぐらいから)

 

泊めてもらっていた家でのパーティー風景

7 Year Bitch と言うバンドとポートランドへ行き泊めてもらった所での昼食風景
よくいっていたシアトルのバーComet での友達たちと(1番右のドレッドの人はBabes in Toyland のLori さん)
TAD
Super suckers
ZIPGUN
The Derelicts

========================== 

Bruce Pavitt(ブルース・パヴィット)来日記念 サイン会 & トークショー開催のお知らせ!

【イベント詳細】
日時:326日(木) 19:00
場所:NONLECTURE books / arts 
住所:東京都渋谷区宇田川町16-9  渋谷ZERO GATE B1